movies vol.4    



              まぼろし

             
2002年・フランス作品 95分  原題:Sous La Sable「砂の下」
              監督・脚本:フランソワ・オゾン 
              共同脚本:エマニュエル・バーンヘイム、マリナ・ド・ヴァン
              出演:シャーロット・ランプリング、ブリュノ・クレメール、ジャック・ノロ、
                  アレクサンドラ・スチュワルト、他
               
              
           


 ものがたり

 主人公はパリの大学で英文学を教えるマリー。夏のバカンスは、いつものように、夫のジャンとふたりで別荘へ。場所はフランス南西部のランド。別荘の鍵を、慣れた手つきでドア前の石の下から取り出すマリー。ソファーにかけていた布をふたりで畳み、マリーは昼食のためにパスタをゆで、夫は暖炉にくべる焚き木を拾いに森へと出かける。25年連れ添っている夫婦の何気ない避暑の風景。
 ところが状況は一変する。人気のない海辺を選び、寝そべるマリーの背中にジャンがオイルを塗ってくれると、妻はそのまま、うとうとと寝てしまう。ふと目覚めると夫の姿はなかった。そして、それっきり、ジャンはマリーの前から忽然と消える。

 パリの生活は変わりがないように見えた。ジャンの不在を除いては・・・。けれども、マリーはひとりのアパルトマンでまぼろしのジャンと語り合う生活を続ける。ジャンは溺死したのか、自殺したのか、それとも失踪か。まったく手がかりのないまま、夫の死をどうしても認めることができないマリー。彼女に好意を寄せるヴァンサンとの出会いも、ジャンを思い切り、新しい生活を勧める友人・アマンダの忠告も、夫の存在以上の重みを持てず、彼女はひとり苦悩する。警察からジャンと思われる溺死体が見つかったという知らせにも、すぐに反応できない。

 長らく扉を開けていなかったジャンの書斎に入るマリー。そこで見つけたのは、ある薬の処方箋だった。不安にかられたマリーは、ジャンの母を訪ねる。しかし、返ってきたのは、義母の冷たい言葉。「母と子の関係を甘くみないことね。うちの子に限って自殺なんてするわけがない、失踪したのよ。男の夢ね」。ジャンの秘密は、25年間生活を共にしていたはずの妻にも分からないことだったのか・・・。

 あまりにも突然、愛する人を失ったら・・・。喪失と受容をテーマにしたこの映画は、フランス映画はめったに当たらないというアメリカでも150万人を動員したという話題作。50代に突入し、ますます美しさと存在感に磨きがかかったシャーロット・ランプリングと、30代の新鋭監督フランソワ・オゾンの世代を超えたコラボレーションで、「これぞ、フランス映画」という味わい深い作品に仕上がっている。


 お墓のシーン

 アパルトマンに帰ると、ジャンはマリーの前に現れる。ふたり分の朝食を用意したり、ブティックで買い物をすれば、彼のためにネクタイを買ってゆく。もちろん、彼女の幻想。マリーにとっては、ジャンはまだそこに存在するのだ。けれども、警察からの知らせを受けてからは、彼女の生活にも少しずつ孤独が忍び寄るのだった。胸の振り子が狂気と正気の間を揺れる。

 画面は、いきなりがらんとした空き部屋に佇むマリーをとらえる。不動産会社の女性スタッフに部屋を説明されている。どうやら、マリーは住み慣れた部屋から引っ越そうとしているらしい。高層階の部屋らしく、窓の向こうには遠くに森が広がっている。景色はよさそうだ。寝室にぽつんと置かれたベッドに倒れ、物思いにふける。

 「ここに決めるわ」とマリー。その言葉に女性スタッフは「ご主人に見ていただかなくても大丈夫ですか」といぶかしる。すでに、ジャンの銀行口座は使えず、クレジットカードの決済も落ちないというのに、またしても夫の存在を追求されて、たじろぐマリー。「いいのよ、主人もきっと気に入るわ」と切り返し、気を取り直すように窓の景色を眺めようとする。「一軒目で気に入っていただけるなんて」と言いつつ、そばに近寄る女性スタッフ。しかし、マリーはいきなり床に倒れる。「やっぱり、この部屋には住めないわ」。「何故ですか?」と、女性スタッフはますます混乱する。「見えない?」と窓の景色を指し示すマリー。次の瞬間、斜めに切り取られたような画面には、古びた墓石の列が並ぶ。そう、このアパルトマンの隣は、墓地なのだ。

 一瞬の映像なのだが、これがかなりのインパクト。「ジャンは死んだ。いい加減、お前も認めろ」と、誰とも知らない墓石の波が、マリーにそう迫るような、恐怖感を与えていた。夫の死をまだ受け入れられないマリーにとっては、墓地は地獄絵図そのものなのだ。パリには街中に有名な墓地が何ヶ所かある。トロカデロ広場近くのパッシーはパリでも高級住宅地で有名だけれど、そこにはパッシー墓地があり、ドビュッシーやフォーレ、マネといった著名なアーティストのお墓があることでも知られている。そこなどは、低層のアパルトマンに隣接していて、どう考えても部屋の住人は窓からお墓を見下ろす生活をしているはずだ。もちろん、おそらく遠くにエッフェル塔も望める、いかにもパリらしい一等地には違いない。住んでいるうちに、その眺めにも慣れてくるのだろうか。死者に見守られているような安心感があるかも。けれど、マリーのような精神状態になれば、あそこの住人たちも不安でいたたまれなくなったりもして・・・。お墓は、その人の置かれた状況で、どうとでもなるものなのだ。


レビュー

 ランドというのは、フランス西南部のアキテーヌ地方にある1つの県。去年、家族で訪れたボルドー(ジロンド県)の南に位置し、避暑地として有名なアルカッションも同じ大西洋岸にある。もう少し下れば、スペインとの国境も近く、マリーとジャンの別荘も、バスク地方特有の建物のようだった。最初、この映画は、長年連れ添った夫を失った中年女性の悲しみが中心に描かれていると思っていた。マリーを悲劇のヒロインとして扱い、それに観客が共感するという構図。けれども、見終わった今、あらためて邦題『まぼろし』の意味をかみ締める。最初に「夫はすぐいなくなる」という情報だけがインプットされていたためか、バカンスの始まりを素直に喜んでいるマリーに比べて、夫であるジャンは少し物憂げに見えた。それは、海辺で彼女の背中にオイルを塗ってあげている表情も同じだ。そのときすでに、観客は妻が気づいていない不安の影を感じただろう。だから、義母が息子の嫁であるマリーに向かって容赦のない言葉の刃を向けたときも、姑の冷たさよりも、実はジャンとマリーの間にひっそりと横たわっていた、まぼろしの25年間が透けて見えるのだ。あるいは、普段は鍵をかけてあり、容易には入れないようになっていたジャンの書斎。ここに、妻には心を閉ざしてきたジャンの思いがみてとれる。

 結局、「まぼろし」は、心の中の幻影であると同時に、一緒に暮らしていた頃から存在していた心の隔たりだったのではないか。夫婦という名の。夫を大切に思ってきたとJ語るマリー。しかし、食事も目覚まし時計も、毎日のルーティンワークでしかなかった。ジャンの職業が何なのか、映画の中でははっきりしないのが、さらにミステリアスなのだけど、妻の前ではただ優しい夫が実は幸せではなかったのかもしれない、という結末は、心に痛い。愛されることだけに満足していた女の哀しみ。警察に保管されていた死体は、生物学的には義母の肉親であることを証明していた。しかし、マリーは遺留品を見て「ジャンではない」と言い張る。妻という存在のすべてを賭けて・・・。ラストシーンが、この映画のすべてを語っている。

 「砂の下」という原題も、これまた名題。映画の中では水のイメージが頻繁に出てくる。セーヌ川、スポーツジムのプール、そして海。たゆといながら、元の位置には決して戻らない。漫漫と水をたたえる海辺の砂浜も、何かを知っているようで、何も語らない。そして、底に何が潜んでいるのか。どんなに両手でつかんでも、ただ手の内からこぼれていく。水も砂も、“虚無”のイメージそのものだ。

 オゾン監督は小さい頃、同じランドの海でひとりのオランダ人が泳ぎに出たまま帰らないという事故に遭遇したそうだ。夫を海に呑み込まれたままバカンス地をひとり後にする夫人の姿が脳裏に焼きついていた。その体験が、この映画のモチーフになっているという。いわば、幼少期の原体験を自分の中で熟成させ、さまざまなフィルターを通して、20数年後に新しい映像として生まれ変わる。第七芸術と呼ばれる映画のダイナミズム。さて、そのオランダ人の夫人は、その後どう生きたのだろう。それを知りたい気もする。

 
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